オモロダイブ(後編)

さて、前編では自身の本質を理解するまでの旅について述べた(?)。

そして、そこからの道。僕はどこか自身のその本質をセーブし、「人に迷惑がかかることはオモロくない事も我慢する」ようにしつつ、より個人的な「オモロい事に対しては孤独な闘いを続けてきた」ように思う。




この労力が功を奏したのか、僕は会社に就職し、自らの稼ぎで飯を食うこともできるようになった。

そして、妻をめとり、子を作り、決して派手ではないかもしれないが、元々向学心はあると思っているが、純粋な向上心といったものには興味の無い僕の本質からすれば、それなりの人生の歩みを進めてこれたように思う。

しかし、30代も後半、40歳も見えてきた今、僕はより自分の未来、死を含む歩みといったものを、リアルに感じるようになっている。それはリストラされる上司や、病気で倒れる身内、そしてどんどん成長する後生たち、皆が僕に「よく考えろ」とメッセージを送っているように感じる。

自分がどこから来て、どこへ行くのか。自分が何者であり、どうなるのか。その答えを探す最後の時が今、来ているのかもしれない。

それには、僕の「オモロい事には一生懸命になれる本質」を見直し、その本質に敬意を払い、オモロい事により深くダイブしなければならないように思える。

損得勘定なんて全部抜きで、深く深く、オモロい事にダイブしたい。心からそれをやりたい。

万人に受けるのはあきらめた。それはオモロくない。

自分が何者なのか。

それは、オモロければどんな苦難でも乗り越えられるオモロダイバーなんだ。そう信じるところから始めよう。

アリとキリギリスで言うなれば、きっとキリギリスになるんだろう。だけど、音楽を極めたキリギリスなら、きっとアリよりも良い働きをするはずだ。その道は、アリよりも険しいかもしれないが、切り開いた道はきっと、アリの巣よりも明るい。

このサイトがどこへ向かうのか、さっぱり見えないけれど、自分自身が自分のオモロいを公開して、それを誰かが面白がってくれればまずは良い。そして、このサイトが自分自身の人生にとって、そして世界の未来に役立てば、それもとてもオモロいことだと思う。

そして、それこそがきっと。オモロダイバーとして産まれた者の使命なのだ!、、、

とか、オモロい事書こうと思ったのに、なんか真面目っぽい話になった。でも、「オモロダイバー」ってのはなかなかオモロい言葉だと思う。

自画自賛。

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